プレイフルな理科

先日、とっても面白い授業をしているといろんなひとから聞いていて、前から伺ってみたかった某中学校の理科の先生の授業を、ついに参観することができた。いやぁ、楽しかった!

理科だけど、図工や美術に近い場の設定。生徒たちはその日に取り組んでみたい実験を教科書のなかから選んだり、自分たちなりに編み出したりしている。

大まかにプランができあがると実験室に置かれた実験器具(この日は光の屈折の単元だったので、焦点距離を計測できるレールに、凸レンズ、赤と緑のアクリル板がついた電球、そして像を結ぶための平板)を持ち出してくるが、生徒たちは器具を「躾け通り」に組み立てるのでなく、じぶんなりの問いを持って新たに付け足したり、取り除いてみたりする。

たとえば凸レンズを三連続で等間隔で並べるとどうなるんだ??とか、明るさを増やせばくっきりするんじゃないか?と電球増やしたりとか。前者ではもちろん実像と虚像が同時に表れたりするが、それがなかなかに不思議でかつ魅力的な現象なのだ。

そして、3つのうちどれが虚像を生み出し、どれが実像を生み出しているかを、三連凸レンズのそれぞれを“いじくる”ことで、オンタイムで理解されてくるのだ。「これじゃね?これじゃね?」「あっ、これだ!」

くわしく描写できないのがもどかしいが、おそらくオーソドックスな理科の授業なら、こうした操作(遊び心に溢れた!)を許容しないだろう。

しかしこの遊び心ある操作から“試行錯誤”が生まれ、既にもっている素朴な科学的概念と実験的状況での発見とのすり合わせや修正がおきる。

一言で言えば、自ら編み出した遊び心ある操作によって、生徒たちにとって繰り返し試そうとする内発的なモチベーションが起きており、この繰り返し〈同じ操作〉を試すと〈同じ結果〉になっていく不思議から、科学的概念と法則への洞察が育まれていく素地が出来上がってくるのである。

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↑余談だが、理科にはやはりファラデー『ロウソクの科学』にある、
生活と科学が繋がっていると実感している、遊び心ある感性がいいなあ。
「この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたないものは、一つもないといってよいくらいです」

その日参観に来ていたのは、現職の先生や、内地留学している先生、日本各地を飛び回っている先生、保育とアートを繋いでいる方など、なかなか異種混合な授業参観で。みなさんとの授業振り返りもなかなか刺激的だった。

授業場面のひとつひとつには、新たな教育文化の発展--ひとは実際いかにして学ぶことができるのか、についての知見と実践--に繋がる発見(発明)があり、先生が挑戦してきたことが結実してきた煌めきがあるのだ。

このおもしろさを社会のみんなといつか、共有したい。